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『相撲』
〈H〉
我が家の近くに、土俵だけがポツネンとおいてある不思議な公園がある。
ベンチも置いていないので、どう利用したらよいものか思案に苦しむ。
誰も覚えていないと思うが、かつて放駒部屋に駒東という力士がおり、それは僕の中学の同級生だった。筋肉の塊のような男で、体毛が非常に濃かった。下ネタを極度に嫌う姿が印象的だった。しかし入門以来、活躍の噂も、消息さえも不明である。
相撲は日本の国技である。
何故国技かといえば、両国国技館というハコモノがあるため、なんとなくそれが国民に浸透したものであり、法令でなんなりと定められたものではない。
だから、うまくすれば、柔道や競輪も国技にできるチャンスはあったと思われる。
世界には法令で定められたものから、人気スポーツゆえ支持されて、という様々な形で「国技」が存在する。
しかし、何故か国技というものは全般的に、オリンピック競技となるような国際的スポーツよりも、その国の中だけでは絶大な人気があるが国際的にはサッパリというスポーツに与えられることが多いようである。
私が気になった各国の国技をいくつか紹介したいと思う。
・コロンビアの国技 テホ
火薬の埋められた粘土の板に鉛の玉を投げつけ、命中して爆発すれば加点される、実にワイルドな競技である。お国柄、自衛から発展した競技のように思える。
・アイルランドの国技 ゲーリックフットボール
ベースはラグビーだが、ボールが完全球体であり、ボールを持って4歩以上歩けなかったり、ゴールにはキーパーがいたりする。つまり、ラグビー×サッカー×バスケというような競技だ。これだったら、レイカーズとインテルと神戸製鋼の異種競技が成立するかもしれない。
・アルゼンチンの国技 パト
おっとサッカーではない。馬に乗ってボールを奪い合いゴールを目指すというポロ系の競技のようだ。パトはアヒルの意であり、かつてはボールではなくアヒルを使っていたらしい。ガクプル。
・バングラデッシュの国技 カバティ
競技人口に比べて知名度が極めて高い有名な競技である。実は僕はこの競技にかなりはまってしまい、中学の頃友達にやり方を教え込み、近所で一大ブームを作ったのだ。小柄な僕は動きは機敏だったが、いかんせん「カバティカバティカバティ・・・」と連呼するのに必要な肺活量がなかった。
・アフガニスタンの国技 ブズカシ
キター。ワンチーム2組の騎馬隊で、生きたヤギを奪い合う男の中の男の競技である。もっとも今では、ヤギの皮に砂を詰め込むことで代用しているらしい。
・トルコの国技 ヤールギュレシ
トルコにおける相撲のような格闘技である。この格闘技の特徴はなんと言ってもオイル。つまり秋山成勲が起こしたヌルヌル事件が逆にルールであり、ローションプレイのような様相なのである。それゆえ、相手をなかなか捕らえきれず、相当なパワーを要する超人的なスポーツとのこと。
・満州国の国技 サッカー
なんということだろう。ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の退位によって消滅した日本の傀儡国家満州国にも国技が存在し、しかも超グローバルスポーツのサッカーだったとは!鬼畜米英とか言ってたのに!
ところで、世界で一番競技人口が多いスポーツはサッカーだと思われがちであるが、実はバスケットボールである。
次回、『スラムダンク』で。
我が家の近くに、土俵だけがポツネンとおいてある不思議な公園がある。
ベンチも置いていないので、どう利用したらよいものか思案に苦しむ。
誰も覚えていないと思うが、かつて放駒部屋に駒東という力士がおり、それは僕の中学の同級生だった。筋肉の塊のような男で、体毛が非常に濃かった。下ネタを極度に嫌う姿が印象的だった。しかし入門以来、活躍の噂も、消息さえも不明である。
相撲は日本の国技である。
何故国技かといえば、両国国技館というハコモノがあるため、なんとなくそれが国民に浸透したものであり、法令でなんなりと定められたものではない。
だから、うまくすれば、柔道や競輪も国技にできるチャンスはあったと思われる。
世界には法令で定められたものから、人気スポーツゆえ支持されて、という様々な形で「国技」が存在する。
しかし、何故か国技というものは全般的に、オリンピック競技となるような国際的スポーツよりも、その国の中だけでは絶大な人気があるが国際的にはサッパリというスポーツに与えられることが多いようである。
私が気になった各国の国技をいくつか紹介したいと思う。
・コロンビアの国技 テホ
火薬の埋められた粘土の板に鉛の玉を投げつけ、命中して爆発すれば加点される、実にワイルドな競技である。お国柄、自衛から発展した競技のように思える。
・アイルランドの国技 ゲーリックフットボール
ベースはラグビーだが、ボールが完全球体であり、ボールを持って4歩以上歩けなかったり、ゴールにはキーパーがいたりする。つまり、ラグビー×サッカー×バスケというような競技だ。これだったら、レイカーズとインテルと神戸製鋼の異種競技が成立するかもしれない。
・アルゼンチンの国技 パト
おっとサッカーではない。馬に乗ってボールを奪い合いゴールを目指すというポロ系の競技のようだ。パトはアヒルの意であり、かつてはボールではなくアヒルを使っていたらしい。ガクプル。
・バングラデッシュの国技 カバティ
競技人口に比べて知名度が極めて高い有名な競技である。実は僕はこの競技にかなりはまってしまい、中学の頃友達にやり方を教え込み、近所で一大ブームを作ったのだ。小柄な僕は動きは機敏だったが、いかんせん「カバティカバティカバティ・・・」と連呼するのに必要な肺活量がなかった。
・アフガニスタンの国技 ブズカシ
キター。ワンチーム2組の騎馬隊で、生きたヤギを奪い合う男の中の男の競技である。もっとも今では、ヤギの皮に砂を詰め込むことで代用しているらしい。
・トルコの国技 ヤールギュレシ
トルコにおける相撲のような格闘技である。この格闘技の特徴はなんと言ってもオイル。つまり秋山成勲が起こしたヌルヌル事件が逆にルールであり、ローションプレイのような様相なのである。それゆえ、相手をなかなか捕らえきれず、相当なパワーを要する超人的なスポーツとのこと。
・満州国の国技 サッカー
なんということだろう。ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の退位によって消滅した日本の傀儡国家満州国にも国技が存在し、しかも超グローバルスポーツのサッカーだったとは!鬼畜米英とか言ってたのに!
ところで、世界で一番競技人口が多いスポーツはサッカーだと思われがちであるが、実はバスケットボールである。
次回、『スラムダンク』で。
『ローリングストーンズ』
〈R〉
ワイルドなキース、クールなミック、ジェントルなチャーリー、燻銀のロニー、クレイジーだったブライアン。
不敵なジョンと真面目なポール、物静かなジョージにキュートなリンゴ。
ホットなスティーブンに絡むクールなジョー。
あまりにもキャラが立ちすぎていて、もはやかっこ悪いメンバーすらいるチープ・トリック。
私たちは、「バンド」というもの、つまり、キャラの立った複数の男たちがそれぞれに役割分担しながら、全員としてひとつの個性になっているもの。を非常に好む傾向があります。
とりわけ日本人は、ひとつの文化のあり方として、こういった集団を好み、それを元に文化を形成してきたのではないか、という推測が本論の骨子です。
私はそれを「日本ホストカルチャー論」と命名し、日本文化論としていい線いっているのではないかとひそかに考えています。
「ホストカルチャー」の定義は以下のとおりです。
1.ひとつの集団を形成する複数の男たちが、
2.「変身」あるいは「変名」の原則のもと、
3.見られる側=エンターテイナーとして、見る側より高い位置につく。
というものです。
この概念を用いれば、たとえば、相撲、歌舞伎といった伝統芸能から、戦隊ヒーロー、ライダーものを経て、昨今のホスト人気、ジャニーズ、お笑いブームまですべてが総括的に説明できる、と考えています。
上記すべての集団が、最小2人というお笑いコンビから、ジュニアという巨大養成所を抱えるジャニーズまで、1の条件を満たしています。また、相撲における四股名や歌舞伎における襲名制度、ホストの名前から芸能人のコンビ名、グループ名にいたるまで、すべての集団が2の「変名」乃至「変身」による非日常感の演出、という共通点を持っています。戦隊ものにおける変身については言うまでもありません。バンドでいえば、ビジュアル系と呼ばれる一派や、バンド入りしたら苗字を「ラモーン」に変えなければならないラモーンズなど、わかりやすい例でしょう。
また3について、見られるもの(支払われるもの)と見るもの(支払うもの)は、本来であれば、金銭的な関係から、見るものが上位に立つはずですが、上記集団では、常に見られるものがある種の権威者となり、見るものは「楽しむ」というより、「楽しませてもらう」という感覚で彼らに接することになります。つまり、2の「非日常感の演出」とあいまって、「ハレ」の場を形成するわけです。
これらを、「パーティーなど(=ハレの場)で、招待側の男主人」という「ホスト」本来の意味から、「ホストカルチャー」と命名します。
ここから個々の事例について検証することも可能ですが、これらの集団が拠って立つ、結論めいたものを先に述べてしまえば、それは「天皇制」――ただし戦前までの――に行き着くということも言えるはずです。
1.集団形成する男たち(皇族)。2.「変名」の変化系としての「姓そのものの消去と宮号の付与」。3.ハレの場に登場する「見られる権威者」。と、戦前の天皇システムは、完全にこの定義を満たしています。そして天皇制にコネクトしてしまえば、日本文化論として評論・批評誘発性が高いのは言うまでもありません。
ちなみに、日本には古来、ハレの文化に対するケの文化、というものがありましたが、この系譜は「隠者・流浪カルチャー」として、吉田兼好、鴨長明から西行、芭蕉を経て、旅芸人、ストリートミュージシャンなどまでたどり着く、という試論もあります。この系譜は、現代の形としては「マスコミ嫌い」という隠者性と、「海外在住」という流浪性を兼ね備える、小沢健二、村上春樹といったアイコンにまで至ります。
また、出雲阿国から宝塚、モー娘。AKBにいたるまでの、女性による類型もありますが、これについては後に譲ります。
日本文化の根幹は、「ホストカルチャー」だったのです。ホスト萌えだったのです。
というこの「日本ホストカルチャー論」、どうでしょうか。だめでしょうか。
『相撲』で。
ワイルドなキース、クールなミック、ジェントルなチャーリー、燻銀のロニー、クレイジーだったブライアン。
不敵なジョンと真面目なポール、物静かなジョージにキュートなリンゴ。
ホットなスティーブンに絡むクールなジョー。
あまりにもキャラが立ちすぎていて、もはやかっこ悪いメンバーすらいるチープ・トリック。
私たちは、「バンド」というもの、つまり、キャラの立った複数の男たちがそれぞれに役割分担しながら、全員としてひとつの個性になっているもの。を非常に好む傾向があります。
とりわけ日本人は、ひとつの文化のあり方として、こういった集団を好み、それを元に文化を形成してきたのではないか、という推測が本論の骨子です。
私はそれを「日本ホストカルチャー論」と命名し、日本文化論としていい線いっているのではないかとひそかに考えています。
「ホストカルチャー」の定義は以下のとおりです。
1.ひとつの集団を形成する複数の男たちが、
2.「変身」あるいは「変名」の原則のもと、
3.見られる側=エンターテイナーとして、見る側より高い位置につく。
というものです。
この概念を用いれば、たとえば、相撲、歌舞伎といった伝統芸能から、戦隊ヒーロー、ライダーものを経て、昨今のホスト人気、ジャニーズ、お笑いブームまですべてが総括的に説明できる、と考えています。
上記すべての集団が、最小2人というお笑いコンビから、ジュニアという巨大養成所を抱えるジャニーズまで、1の条件を満たしています。また、相撲における四股名や歌舞伎における襲名制度、ホストの名前から芸能人のコンビ名、グループ名にいたるまで、すべての集団が2の「変名」乃至「変身」による非日常感の演出、という共通点を持っています。戦隊ものにおける変身については言うまでもありません。バンドでいえば、ビジュアル系と呼ばれる一派や、バンド入りしたら苗字を「ラモーン」に変えなければならないラモーンズなど、わかりやすい例でしょう。
また3について、見られるもの(支払われるもの)と見るもの(支払うもの)は、本来であれば、金銭的な関係から、見るものが上位に立つはずですが、上記集団では、常に見られるものがある種の権威者となり、見るものは「楽しむ」というより、「楽しませてもらう」という感覚で彼らに接することになります。つまり、2の「非日常感の演出」とあいまって、「ハレ」の場を形成するわけです。
これらを、「パーティーなど(=ハレの場)で、招待側の男主人」という「ホスト」本来の意味から、「ホストカルチャー」と命名します。
ここから個々の事例について検証することも可能ですが、これらの集団が拠って立つ、結論めいたものを先に述べてしまえば、それは「天皇制」――ただし戦前までの――に行き着くということも言えるはずです。
1.集団形成する男たち(皇族)。2.「変名」の変化系としての「姓そのものの消去と宮号の付与」。3.ハレの場に登場する「見られる権威者」。と、戦前の天皇システムは、完全にこの定義を満たしています。そして天皇制にコネクトしてしまえば、日本文化論として評論・批評誘発性が高いのは言うまでもありません。
ちなみに、日本には古来、ハレの文化に対するケの文化、というものがありましたが、この系譜は「隠者・流浪カルチャー」として、吉田兼好、鴨長明から西行、芭蕉を経て、旅芸人、ストリートミュージシャンなどまでたどり着く、という試論もあります。この系譜は、現代の形としては「マスコミ嫌い」という隠者性と、「海外在住」という流浪性を兼ね備える、小沢健二、村上春樹といったアイコンにまで至ります。
また、出雲阿国から宝塚、モー娘。AKBにいたるまでの、女性による類型もありますが、これについては後に譲ります。
日本文化の根幹は、「ホストカルチャー」だったのです。ホスト萌えだったのです。
というこの「日本ホストカルチャー論」、どうでしょうか。だめでしょうか。
『相撲』で。
『Twitter』〜後編
〈H〉
前回に続き「愛すべき後輩TのためにTwitterで祝辞を作ろう!」企画の後編をお届けするものである。
後半になるにつれ「いつ終わるんだ」「誰が終わらせるんだ」という不安とは反比例して、実にリアルな祝辞の様相を呈してくる。だが、ライターが一人ではないため、最後は似たような話の応酬になり、実にアンバランス。
皆様も祝辞に困ったときは、下記を参考にしてください。
----------------------
はいー、T君どうも。没交渉な人間さえも受け入れる懐の深さがまさにT君の広いストライクゾーンを示しているものと言えるでしょう。そう、T君の最大の魅力はその人当たり、誰とでも仲良くやれる人間性。また、ゴシップや噂好きな一面もありまして、情報ソースがT君であることが多かった。
また、その噂話に尾鰭をつけるのが大好きでもありました。よく結婚を表現して「楽しいことは二倍に、悲しいことは半分に」などと言いますが、彼と一緒なら、楽しかろうが苦しかろうが、全て彼の類い稀な拡声力で三倍くらいになるのです。退屈しない人生が貴女を待っています。
ロシアの文豪ツルゲーネフは「時のすぎるのが早いか遅いか、それに気づくこともないような時期に、人はとりわけて幸福なのである。」と説きました。T君はまさにそういう時間を提供する男です。
さて、彼が学生時代に作った映画ですが、このあと、高砂の後ろにあるスクリーンで上映を……しない?……あれ、しないの?…ほんと?…失礼しました。段取に手違いが。
いずれにせよこれからは、実人生が、二人が主演の作品となります。まあ、これはHの式のときに喋ったことのセルフカバーですが、新郎も挨拶で同じようなことを言っていました。ちなみにこの時Rはスピーチを練習しすぎて「立て板に水」と評されるハメになります。まぁ映画関係者というものは往々にして結婚式で「人生という映画の主人公」と言われるのです。
逆にT君の人生を映画に例えるなら、かつてはI川とともにC3POとR2D2と言われましたが、スターウォーズではないでしょう。サマーウォーズなどどうでしょうか。新しい家族とともに、様々な冒険に立ち向かう。ぴったりではないでしょうか。
あるいはSセガールの沈黙シリーズ。というのも、鍛え上げられた肉体。ピンチの無い圧倒的な強さ。ごんぶと。奥さんが日本人。その全てにおいて、T君はスティーブン・セガールと酷似しているからです。是非娘をリハウスガールにしてもらいたいものです。
さて、人生には3つの坂があると言います。それは、登り坂、下り坂、まっ坂さま、の三つです。登り坂のときはいい。下り坂のときもゆっくり降りればいい。しかし、まっ逆さま=フリーフォール状態のときどうするか、これが肝心です。人生の先達として申し上げると、まっ逆さまに落ちるときは、決して一人ではなく、相手の腕をつかんで二人で落ちるのです。そうすれば、また二人で這い上がることができる。二人が同じ高度に揃ってさえいれば大抵のことはクリアできますし、常に同じ高度にいようという意志こそ夫婦の原点です。
よくパニック映画などで「俺(私)のことはいいから先に行って!」という台詞を聞きますが、ああいう局面は、大小問わず、生活の現場には意外とありうるものです。そんな時に一番良いのは、先に行くことです。そして行ったと見せかけて瞬時に舞い戻り、それと分からぬように障害を排除し、何食わぬ顔で先で待っているフリをする。まさに愛情と愛情が交錯する理想の瞬間といえましょう。
さて、最後にT君に贈る言葉があるとするならば、結局のところ、幸せになれ、というほかありません。「結婚する」というのは動作ですが「結婚している」というのは状態です。そして結婚の幸福は、ある動作をする勇気よりも、ある状態を持続する努力のほうにかかっています。もう10年の付合いになるものとして、T君が常に前に前に転進していく人間であることは承知しています。二人の場合はそんな動作の連続、それが恒なる「状態」となって、二人だけアクティブな結婚スタイルを築いていくことでしょう。お幸せに!
以上、ご清聴ありがとうございました。(完)
----------------------------
では次回『ローリングストーンズ』について。
前回に続き「愛すべき後輩TのためにTwitterで祝辞を作ろう!」企画の後編をお届けするものである。
後半になるにつれ「いつ終わるんだ」「誰が終わらせるんだ」という不安とは反比例して、実にリアルな祝辞の様相を呈してくる。だが、ライターが一人ではないため、最後は似たような話の応酬になり、実にアンバランス。
皆様も祝辞に困ったときは、下記を参考にしてください。
----------------------
はいー、T君どうも。没交渉な人間さえも受け入れる懐の深さがまさにT君の広いストライクゾーンを示しているものと言えるでしょう。そう、T君の最大の魅力はその人当たり、誰とでも仲良くやれる人間性。また、ゴシップや噂好きな一面もありまして、情報ソースがT君であることが多かった。
また、その噂話に尾鰭をつけるのが大好きでもありました。よく結婚を表現して「楽しいことは二倍に、悲しいことは半分に」などと言いますが、彼と一緒なら、楽しかろうが苦しかろうが、全て彼の類い稀な拡声力で三倍くらいになるのです。退屈しない人生が貴女を待っています。
ロシアの文豪ツルゲーネフは「時のすぎるのが早いか遅いか、それに気づくこともないような時期に、人はとりわけて幸福なのである。」と説きました。T君はまさにそういう時間を提供する男です。
さて、彼が学生時代に作った映画ですが、このあと、高砂の後ろにあるスクリーンで上映を……しない?……あれ、しないの?…ほんと?…失礼しました。段取に手違いが。
いずれにせよこれからは、実人生が、二人が主演の作品となります。まあ、これはHの式のときに喋ったことのセルフカバーですが、新郎も挨拶で同じようなことを言っていました。ちなみにこの時Rはスピーチを練習しすぎて「立て板に水」と評されるハメになります。まぁ映画関係者というものは往々にして結婚式で「人生という映画の主人公」と言われるのです。
逆にT君の人生を映画に例えるなら、かつてはI川とともにC3POとR2D2と言われましたが、スターウォーズではないでしょう。サマーウォーズなどどうでしょうか。新しい家族とともに、様々な冒険に立ち向かう。ぴったりではないでしょうか。
あるいはSセガールの沈黙シリーズ。というのも、鍛え上げられた肉体。ピンチの無い圧倒的な強さ。ごんぶと。奥さんが日本人。その全てにおいて、T君はスティーブン・セガールと酷似しているからです。是非娘をリハウスガールにしてもらいたいものです。
さて、人生には3つの坂があると言います。それは、登り坂、下り坂、まっ坂さま、の三つです。登り坂のときはいい。下り坂のときもゆっくり降りればいい。しかし、まっ逆さま=フリーフォール状態のときどうするか、これが肝心です。人生の先達として申し上げると、まっ逆さまに落ちるときは、決して一人ではなく、相手の腕をつかんで二人で落ちるのです。そうすれば、また二人で這い上がることができる。二人が同じ高度に揃ってさえいれば大抵のことはクリアできますし、常に同じ高度にいようという意志こそ夫婦の原点です。
よくパニック映画などで「俺(私)のことはいいから先に行って!」という台詞を聞きますが、ああいう局面は、大小問わず、生活の現場には意外とありうるものです。そんな時に一番良いのは、先に行くことです。そして行ったと見せかけて瞬時に舞い戻り、それと分からぬように障害を排除し、何食わぬ顔で先で待っているフリをする。まさに愛情と愛情が交錯する理想の瞬間といえましょう。
さて、最後にT君に贈る言葉があるとするならば、結局のところ、幸せになれ、というほかありません。「結婚する」というのは動作ですが「結婚している」というのは状態です。そして結婚の幸福は、ある動作をする勇気よりも、ある状態を持続する努力のほうにかかっています。もう10年の付合いになるものとして、T君が常に前に前に転進していく人間であることは承知しています。二人の場合はそんな動作の連続、それが恒なる「状態」となって、二人だけアクティブな結婚スタイルを築いていくことでしょう。お幸せに!
以上、ご清聴ありがとうございました。(完)
----------------------------
では次回『ローリングストーンズ』について。
『Twitter』〜前編
〈H〉
Rからの指示により、いま最もナウいCGMと言われるTwitterを始めてみた。
このキャッチーでハッピーなバイブスを感じるインフラを活用し、何かエクスクルーシブなことができないかとRと相談した結果、今年の夏に結婚する、愛すべき後輩TのためにTwitterで祝辞を作る、という試みを始めたわけである。
今回はその長文となった祝辞の前編をお送りするものである。ワンセンテンスごとに人格崩壊を起こしている上、話題を振っても覚えていない、など曲折を経て、予想通りとりとめもない祝辞と化している。後編に向かい、どのようにオチをつけるのか注目されたい。
----------------------
T君、◯さん、この度は御結婚おめでとうございます。
突然ですが、T君、みんなで房総半島に遊びに行ったことを覚えていますか? ここでいう「みんな」とは、劇団員のA、T、T、E、G、S(当時F)、後輩のOやIでした。そこに、鉢巻きをしめ、酒屋の前掛けをつけた君もいました。
まぁそれは三浦半島であって房総半島ではないんですが、話の流れから三浦半島の話をしましょう。ちなみに房総へは合宿で行きました。三浦半島はたいてい曇りでしたね。クラゲも多かった。
あの前掛けには確かこう書かれていましたね。……「酒」だったでしょうか。「愛」だったでしょうか……すいません、緊張してど忘れを…すみません、ビールを一杯。んぐんぐ、ぷはぁ。・・・ああ!思い出しました!こう書かれていたんです。
「なんでもありそな国で、ただひとつ」。むむ。なにぶん10年近く前のことですので定かではありませんが、たしかこのような言葉だったかと思います。言うまでもなく、この言葉は、当時一世を風靡したスパッツの名曲で「鯛の印」の一節であります。
鯛の印といえば、もちろん恵比寿様。恵比寿顔とは見事鯛を釣った時の嬉しそうな表情のことで、まさに今のT君のことでしょう。
ところで、あの時の役名は三平といいました。三平はヒロインに恋心を抱いているのですが、遂に想いを打ち明けられないまま、恋敵の主人公に恋路を譲る、という役でした。しかし、今日の君は違います。主人公であります。有象無象の脇役を蹴散らし、今日の日を迎えたのです。
若かったあの頃の君は、暴れん棒将軍。自慰識の塊で、まさに全身性器。全身モザイクが必要な、そんな存在であり、僕ら一般ペーポーの憧れの的でした。そんな君があんなことになってしまうなんて。
忘れもしません。あれは、下井草のアパートで、リングらせんの夜を開催したときのことでした…。細かい演出にもいちいちビクッと反応し、大きな体で上井草のアパートを揺らしていたよね。ホラー映画は苦手だって言えばいいのに。タイミングのズレた真田広之の断末魔にみんな驚きを隠せなかったよね。
そうそう、アフレコで徹夜した日々も忘れられません。場所はやはり下井草のアパートでした。いまは駐車場になってしまっているこのアパートで、幾つの夜を過ごしたでしょう。ここで、そのあたりのことについて、新郎ご自身から、ひとこといただきましょうか。
「あの間取りはマジック。中の部屋で過ごした記憶はない。プリンスの曲が流れてた記憶。 あと、ビーフシチューです。」
はいー、新郎からのコメントでした。あの部屋がプリンスとビーフシチューとともに覚えられているとは、ひとの記憶とは不思議なものです。ビーフシチュー作ったこと、ありましたね。あのときはI川とI泉なんかもいたと思う。I泉さんはいまミクロネシアにいる。I川は、 私の人生でも最も嫌悪すべき人間の一人であります。
そんなI川とN村D祐と同棲生活を始めたことがありましたね。あの生活を振り返って、新郎からもう一言いただきましょう。
「ふたりのおかげで他人に対してだいぶ寛容になりました。そういえば、ND氏から祝メールをもらいました。『これからも多くの幸あらんことを』ただ一言。同居中彼が仕事以外で他人と交渉する姿を見たことはついぞありませんでした。僕らは大事なものを失ったのかもしれません。」
(後編に続く)
Rからの指示により、いま最もナウいCGMと言われるTwitterを始めてみた。
このキャッチーでハッピーなバイブスを感じるインフラを活用し、何かエクスクルーシブなことができないかとRと相談した結果、今年の夏に結婚する、愛すべき後輩TのためにTwitterで祝辞を作る、という試みを始めたわけである。
今回はその長文となった祝辞の前編をお送りするものである。ワンセンテンスごとに人格崩壊を起こしている上、話題を振っても覚えていない、など曲折を経て、予想通りとりとめもない祝辞と化している。後編に向かい、どのようにオチをつけるのか注目されたい。
----------------------
T君、◯さん、この度は御結婚おめでとうございます。
突然ですが、T君、みんなで房総半島に遊びに行ったことを覚えていますか? ここでいう「みんな」とは、劇団員のA、T、T、E、G、S(当時F)、後輩のOやIでした。そこに、鉢巻きをしめ、酒屋の前掛けをつけた君もいました。
まぁそれは三浦半島であって房総半島ではないんですが、話の流れから三浦半島の話をしましょう。ちなみに房総へは合宿で行きました。三浦半島はたいてい曇りでしたね。クラゲも多かった。
あの前掛けには確かこう書かれていましたね。……「酒」だったでしょうか。「愛」だったでしょうか……すいません、緊張してど忘れを…すみません、ビールを一杯。んぐんぐ、ぷはぁ。・・・ああ!思い出しました!こう書かれていたんです。
「なんでもありそな国で、ただひとつ」。むむ。なにぶん10年近く前のことですので定かではありませんが、たしかこのような言葉だったかと思います。言うまでもなく、この言葉は、当時一世を風靡したスパッツの名曲で「鯛の印」の一節であります。
鯛の印といえば、もちろん恵比寿様。恵比寿顔とは見事鯛を釣った時の嬉しそうな表情のことで、まさに今のT君のことでしょう。
ところで、あの時の役名は三平といいました。三平はヒロインに恋心を抱いているのですが、遂に想いを打ち明けられないまま、恋敵の主人公に恋路を譲る、という役でした。しかし、今日の君は違います。主人公であります。有象無象の脇役を蹴散らし、今日の日を迎えたのです。
若かったあの頃の君は、暴れん棒将軍。自慰識の塊で、まさに全身性器。全身モザイクが必要な、そんな存在であり、僕ら一般ペーポーの憧れの的でした。そんな君があんなことになってしまうなんて。
忘れもしません。あれは、下井草のアパートで、リングらせんの夜を開催したときのことでした…。細かい演出にもいちいちビクッと反応し、大きな体で上井草のアパートを揺らしていたよね。ホラー映画は苦手だって言えばいいのに。タイミングのズレた真田広之の断末魔にみんな驚きを隠せなかったよね。
そうそう、アフレコで徹夜した日々も忘れられません。場所はやはり下井草のアパートでした。いまは駐車場になってしまっているこのアパートで、幾つの夜を過ごしたでしょう。ここで、そのあたりのことについて、新郎ご自身から、ひとこといただきましょうか。
「あの間取りはマジック。中の部屋で過ごした記憶はない。プリンスの曲が流れてた記憶。 あと、ビーフシチューです。」
はいー、新郎からのコメントでした。あの部屋がプリンスとビーフシチューとともに覚えられているとは、ひとの記憶とは不思議なものです。ビーフシチュー作ったこと、ありましたね。あのときはI川とI泉なんかもいたと思う。I泉さんはいまミクロネシアにいる。I川は、 私の人生でも最も嫌悪すべき人間の一人であります。
そんなI川とN村D祐と同棲生活を始めたことがありましたね。あの生活を振り返って、新郎からもう一言いただきましょう。
「ふたりのおかげで他人に対してだいぶ寛容になりました。そういえば、ND氏から祝メールをもらいました。『これからも多くの幸あらんことを』ただ一言。同居中彼が仕事以外で他人と交渉する姿を見たことはついぞありませんでした。僕らは大事なものを失ったのかもしれません。」
(後編に続く)
『カフェ』
〈R〉
職場がある神保町は、古書店をはじめ、小さな商店が建ち並ぶ街です。
仕事の打ち合わせや昼食後のちょっとした時間に、そういった小さな店のひとつに入って、コーヒーや紅茶を飲んで話をしたり寛いだりするのが正しい神保町の過ごし方ですが、一般にこういった店は「喫茶店」と言われ、断じて「カフェ」と呼ばれることはありません。
喫茶店とカフェ。その違いはどのへんにあるのか? というのはわかるようでわからない疑問ですが、店の名前を列記してみると、うっすらと見えてくるものがあります。
たとえば、私がよく行く神保町の店名を列記してみると、
喫茶居
白十字
かずま珈琲店
エリカ
珈琲ぶらじる
さぼうる
音叉
...etc.
どうでしょう、この昭和な名前の数々は。この中ではエリカあたりがかろうじてカフェ感を感じさせますが、それとても、カフェというよりは、ちょっと垢抜けない場末のスナックのようなダメさを感じさせます(そして実際のエリカは、この中でも超弩級のボロさと古さと埃っぽさを誇る、神保町の最古参店です)。
いっぽう、私の起居する広尾には、外国人が多く住んでいるということもあってか、いわゆるカフェ様のものが非常に多いです。インドア派の私は、家が近くにあるのにカフェに出入りする気持ちが理解できないので滅多に行くことはありませんが、休日に近くを通りかかると、サングラスをかけて毛ずねを出した白人種の皆様がうようよたむろしています。
それらの名前を同様に列記してみると、
Paper Moon
アンセーニュ ダングル
天現寺カフェ
カフェ・デ・プレ
BONDICAFE
ボフエシュバル
イーマ(ima)
ジョンヌブリアン
...etc.
どうでしょう、この横文字感。ぱっと見では何が書いているのかよくわかりません。
唯一漢字を使用している天現寺カフェにしても、なにやらレトロなお洒落感のようなものが感じられ、気取ってます(実際の天現寺カフェは、天現寺交差点の好立地にオープンテラスもふくめた店を構えるお洒落感丸出しの店で、神保町のエリカが20店分くらい入りそうな広々としたスペースで余裕綽々です)。
ちなみに、簡単な辞典でそれぞれを調べると、
きっさ‐てん【喫茶店】
コーヒー・紅茶などの飲み物や、軽食を出す飲食店。カフェ。
カフェ【(フランス)】
1 コーヒー。
2 コーヒー店。喫茶店。
3 大正・昭和初期に、女給が酌をして洋酒類を飲ませた飲食店。カフェー。カッフェー。
と同義であることになっていて、とくに両者の違いは定義されていません。
私的に定義してみるとすれば、
きっさ‐てん【喫茶店】
コーヒー・紅茶などの飲み物や、軽食を出す飲食店のうち、築年数が古く、サラリーマンや中高年者が客層の主流を占める店。ひらがなや漢字の名前がついていることが多い。昭和を目指す。あるいは何も目指していない。
カフェ【(フランス)】
1 コーヒー。
2 コーヒー店。カタカナ、英語、フランス語の店名であることが多く、若い男女や西洋圏の外国人が主客層となる。オープンカフェと称して店先にもテーブルを置くことがある。ポストモダン、西洋を目指す。
とでもなるでしょうか。
私はだんぜん喫茶店派。こじんまりしたうす暗い店内で、おいしい紅茶を喫しながら本を読むのは至福のひとときです。
ところで、最近は本ではなくiphoneを閲することも増えました。いろんな機能があってなかなか侮れないです。それこそ、日本文学の古典的名作であれば、携帯電話で見られる時代ですし。
そんなネット界のトレンドは、いまやブログよりtwitterとか。
どうよ、『twitter』。
職場がある神保町は、古書店をはじめ、小さな商店が建ち並ぶ街です。
仕事の打ち合わせや昼食後のちょっとした時間に、そういった小さな店のひとつに入って、コーヒーや紅茶を飲んで話をしたり寛いだりするのが正しい神保町の過ごし方ですが、一般にこういった店は「喫茶店」と言われ、断じて「カフェ」と呼ばれることはありません。
喫茶店とカフェ。その違いはどのへんにあるのか? というのはわかるようでわからない疑問ですが、店の名前を列記してみると、うっすらと見えてくるものがあります。
たとえば、私がよく行く神保町の店名を列記してみると、
喫茶居
白十字
かずま珈琲店
エリカ
珈琲ぶらじる
さぼうる
音叉
...etc.
どうでしょう、この昭和な名前の数々は。この中ではエリカあたりがかろうじてカフェ感を感じさせますが、それとても、カフェというよりは、ちょっと垢抜けない場末のスナックのようなダメさを感じさせます(そして実際のエリカは、この中でも超弩級のボロさと古さと埃っぽさを誇る、神保町の最古参店です)。
いっぽう、私の起居する広尾には、外国人が多く住んでいるということもあってか、いわゆるカフェ様のものが非常に多いです。インドア派の私は、家が近くにあるのにカフェに出入りする気持ちが理解できないので滅多に行くことはありませんが、休日に近くを通りかかると、サングラスをかけて毛ずねを出した白人種の皆様がうようよたむろしています。
それらの名前を同様に列記してみると、
Paper Moon
アンセーニュ ダングル
天現寺カフェ
カフェ・デ・プレ
BONDICAFE
ボフエシュバル
イーマ(ima)
ジョンヌブリアン
...etc.
どうでしょう、この横文字感。ぱっと見では何が書いているのかよくわかりません。
唯一漢字を使用している天現寺カフェにしても、なにやらレトロなお洒落感のようなものが感じられ、気取ってます(実際の天現寺カフェは、天現寺交差点の好立地にオープンテラスもふくめた店を構えるお洒落感丸出しの店で、神保町のエリカが20店分くらい入りそうな広々としたスペースで余裕綽々です)。
ちなみに、簡単な辞典でそれぞれを調べると、
きっさ‐てん【喫茶店】
コーヒー・紅茶などの飲み物や、軽食を出す飲食店。カフェ。
カフェ【(フランス)】
1 コーヒー。
2 コーヒー店。喫茶店。
3 大正・昭和初期に、女給が酌をして洋酒類を飲ませた飲食店。カフェー。カッフェー。
と同義であることになっていて、とくに両者の違いは定義されていません。
私的に定義してみるとすれば、
きっさ‐てん【喫茶店】
コーヒー・紅茶などの飲み物や、軽食を出す飲食店のうち、築年数が古く、サラリーマンや中高年者が客層の主流を占める店。ひらがなや漢字の名前がついていることが多い。昭和を目指す。あるいは何も目指していない。
カフェ【(フランス)】
1 コーヒー。
2 コーヒー店。カタカナ、英語、フランス語の店名であることが多く、若い男女や西洋圏の外国人が主客層となる。オープンカフェと称して店先にもテーブルを置くことがある。ポストモダン、西洋を目指す。
とでもなるでしょうか。
私はだんぜん喫茶店派。こじんまりしたうす暗い店内で、おいしい紅茶を喫しながら本を読むのは至福のひとときです。
ところで、最近は本ではなくiphoneを閲することも増えました。いろんな機能があってなかなか侮れないです。それこそ、日本文学の古典的名作であれば、携帯電話で見られる時代ですし。
そんなネット界のトレンドは、いまやブログよりtwitterとか。
どうよ、『twitter』。
『王様』
〈H〉
ここ最近のHはとても忙しい。
忙しいときほど、私生活にアクシデントが起きるもので、先日、自転車に乗って駅から自宅に帰る途中、タクシーの巻き込み事故に遭った。お気に入りのクライスラーの自転車が大破してしまったのだが、前輪を踏まれた時点で僕は投げ出されたので直接車と接触することがなく、転んだだけのかすり傷で済んだ。大型連休に突入し、ようやく自転車も修理に出せる。
ところが、世間は大型連休に浮かれているというのに、我がH家では構成メンバーのほとんどがロタウイルスに感染するという不測の事態を招き、全員で篭城することになった。ここで水攻めにでもあえば「浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して」とでも辞世の句を残し自刃するところであるが、残念ながら私は武士ではない。
ここで言う高松とは、香川県高松市のことではなく、岡山県岡山市にある備中高松城である。篭城戦となり秀吉に水攻めをされて、最後は城主の清水宗治が切腹をし、家臣の助命を為した話が有名である。同じように岡山には備中松山城という名前の城もあり、何故か四国の県庁所在地と同じ名前の城が点在する。
この備中松山城にある天守閣は、現存する国内12ヶ所の天守閣の1つである。最も小さくコケティッシュな天守として知られ、まるで古い日本家屋のような佇まいである。
ちなみに、この天守が明治時代に取り壊されなかった理由は、急勾配の山城だったから、であり、現存天守唯一の山城でもある。
現代に天守閣の残る城で最大のものは、言わずと知れた世界遺産・姫路城であり、大天守と小天守のハイブリッド構造の勇壮な姿はとても美しい。個人的には、姫路駅に降り立ち真っ直ぐ伸びたメインストリートの向こうに威風堂々存在している姿に非常に感動を覚えるのである。
姫路城天守
江戸時代、姫路城主は度々変わったが、その度にいかにこの天守を保守するかが課題となったそうである。あまりに重くて、城自体の傾きや地盤沈下が激しかったそうだ。しかし、天守を崩したとあっては一族の名折れ。みんな必至に保守したそう。城主のみんな、ありがとう。
先日、姫路を訪ねた折、会社の後輩(女性)の母親がやっているというカフェに行き、名乗ったところ、食べきれないほどの料理を出していただく等、思いっきり歓待を頂いた。父親にも会ったのだが、ウチの会社の結婚事情を根掘り葉掘り聞かれた。気になるのね、やっぱりそこが。
話は戻るが、秀吉は備中高松城を水攻めにした後、すぐさま中国大返しで尼崎に戻り山崎の戦いで明智光秀を破ったのは有名だが、この中国大返しは5日で150km。毎日マラソンをしている感覚であり、やっぱり武士に生まれなくて良かった、と思ふ。
その秀吉が山崎の戦いに挑む前に立ち寄って智謀をめぐらせたのが姫路城であり、まさに、秀吉がキングへの足掛かりとしたキング・オブ・キャッスルと言えましょう。
『カフェ』はお好き?
ここ最近のHはとても忙しい。
忙しいときほど、私生活にアクシデントが起きるもので、先日、自転車に乗って駅から自宅に帰る途中、タクシーの巻き込み事故に遭った。お気に入りのクライスラーの自転車が大破してしまったのだが、前輪を踏まれた時点で僕は投げ出されたので直接車と接触することがなく、転んだだけのかすり傷で済んだ。大型連休に突入し、ようやく自転車も修理に出せる。
ところが、世間は大型連休に浮かれているというのに、我がH家では構成メンバーのほとんどがロタウイルスに感染するという不測の事態を招き、全員で篭城することになった。ここで水攻めにでもあえば「浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して」とでも辞世の句を残し自刃するところであるが、残念ながら私は武士ではない。
ここで言う高松とは、香川県高松市のことではなく、岡山県岡山市にある備中高松城である。篭城戦となり秀吉に水攻めをされて、最後は城主の清水宗治が切腹をし、家臣の助命を為した話が有名である。同じように岡山には備中松山城という名前の城もあり、何故か四国の県庁所在地と同じ名前の城が点在する。
この備中松山城にある天守閣は、現存する国内12ヶ所の天守閣の1つである。最も小さくコケティッシュな天守として知られ、まるで古い日本家屋のような佇まいである。
ちなみに、この天守が明治時代に取り壊されなかった理由は、急勾配の山城だったから、であり、現存天守唯一の山城でもある。
現代に天守閣の残る城で最大のものは、言わずと知れた世界遺産・姫路城であり、大天守と小天守のハイブリッド構造の勇壮な姿はとても美しい。個人的には、姫路駅に降り立ち真っ直ぐ伸びたメインストリートの向こうに威風堂々存在している姿に非常に感動を覚えるのである。
姫路城天守江戸時代、姫路城主は度々変わったが、その度にいかにこの天守を保守するかが課題となったそうである。あまりに重くて、城自体の傾きや地盤沈下が激しかったそうだ。しかし、天守を崩したとあっては一族の名折れ。みんな必至に保守したそう。城主のみんな、ありがとう。
先日、姫路を訪ねた折、会社の後輩(女性)の母親がやっているというカフェに行き、名乗ったところ、食べきれないほどの料理を出していただく等、思いっきり歓待を頂いた。父親にも会ったのだが、ウチの会社の結婚事情を根掘り葉掘り聞かれた。気になるのね、やっぱりそこが。
話は戻るが、秀吉は備中高松城を水攻めにした後、すぐさま中国大返しで尼崎に戻り山崎の戦いで明智光秀を破ったのは有名だが、この中国大返しは5日で150km。毎日マラソンをしている感覚であり、やっぱり武士に生まれなくて良かった、と思ふ。
その秀吉が山崎の戦いに挑む前に立ち寄って智謀をめぐらせたのが姫路城であり、まさに、秀吉がキングへの足掛かりとしたキング・オブ・キャッスルと言えましょう。
『カフェ』はお好き?
『卒論』
〈R〉
私の卒業した大学の文学部には「文芸専修」という学科がありました。そこは通常の、いわゆる研究論文としての卒業論文ではなく、小説や台本、演劇戯曲、詩など、活字創作物を提出すれば単位が出るという学科でした。卒業論文ではなく、卒業制作乃至卒業創作ということです。
私の妻はこの文芸専修の卒業生で、卒論は短歌でした。およそ100首ばかりの歌を詠んで卒業したのではなかったでしょうか。また、ある知り合いは、150枚ばかりの小説を提出したのでした。
ここまでは、まあいいでしょう。他大学でも、芸術系の学科では普通にやっていることです。
問題は、演劇の場合であって、どうも単に戯曲を書いて提出すればよいというわけではなかったのか、自作の台本を演出・上演することで卒論とする制度だったようです。
すなわち、そういうものを書いて卒論にしようなぞという人物は、大概、演劇系のサークル等に所属していたため、そこの後輩・スタッフ連を動員して自らの戯曲を上演、それをば他人様に見せようと企てる輩が現れることになるのです。
学生演劇。学生の創作活動というものは、やっているほうが一方的に楽しくて、やられるほうはただただ迷惑、ということになるのが通り相場なのですが、とりわけ学生演劇には、その傾向が強い。というのは、私自身のささやかな経験からくる大いなる偏見であります。
夏は異様に蒸し暑く、冬はしんしんと底冷えのする、おそらくはアスベストで塗り固められた小さな小屋。座り心地の悪い、椅子と呼ぶには椅子に失礼な、地面と水平に置いた長い板のことをベンチと呼ぶなら、まあそうとしか呼びようのないものに腰掛けます。隣との境目がないそういった客席である以上、劇団のスタッフに言われるままに詰めるだけ詰めて座ると、暗く、狭く、寒くあるいは熱く、あたかもアウシュビッツに向かう列車内のようです。
そうこうしているうちに、目と鼻の先の舞台に照明が灯り、独特の香りのスモークがもうもうと吹き出してきます。と、薄汚れたトレンチコートにトランク様のものを提げた、テンションばかり高い男が現れて、なにやら意味深のような、まるで無意味のような独白を始めます。すると、同様の衣装に身を包んだ男女が数人登場し、やはり元気いっぱいに、意味の不明なことをてんでにしゃべり始めます。
……90分後、トレンチコートの男女は、どこからともなく取り出した拳銃でもって、互いを撃ち合っています。あるものはワルサー、あるものはトカレフ、あるものは旧式のリボルバーで、もう無茶苦茶です。ぎゃあと叫んで最後の男が地面にくずおれた瞬間、スモークがしゅわしゅわと吹き出て舞台は暗転。「おしまい」というテロップは出ないものの、待てど暮らせど次の幕が開かないので、どうやら終わったらしいと知れるのです……。
なにか非道い書き方をしてしまいましたが、いま思い返せば、良い思い出です。
もう一度、あの小屋に行ってみたい気持ちもあります。
今度行くか? いやか。そうか。
ちなみに、東洋史専修であった私自身の卒論テーマは『タイバンコク朝における仏教と王権の関係』。一読した指導教官に、「もう少し頁数を増やせば、新書で出せるね」と言われたのを憶えていますが、褒められたのか貶されたのかわかりませんでした。
いまでもわかりません。が、卒論で新書ってことは、おそらく貶されたのでしょうね。
『王様』で。
私の卒業した大学の文学部には「文芸専修」という学科がありました。そこは通常の、いわゆる研究論文としての卒業論文ではなく、小説や台本、演劇戯曲、詩など、活字創作物を提出すれば単位が出るという学科でした。卒業論文ではなく、卒業制作乃至卒業創作ということです。
私の妻はこの文芸専修の卒業生で、卒論は短歌でした。およそ100首ばかりの歌を詠んで卒業したのではなかったでしょうか。また、ある知り合いは、150枚ばかりの小説を提出したのでした。
ここまでは、まあいいでしょう。他大学でも、芸術系の学科では普通にやっていることです。
問題は、演劇の場合であって、どうも単に戯曲を書いて提出すればよいというわけではなかったのか、自作の台本を演出・上演することで卒論とする制度だったようです。
すなわち、そういうものを書いて卒論にしようなぞという人物は、大概、演劇系のサークル等に所属していたため、そこの後輩・スタッフ連を動員して自らの戯曲を上演、それをば他人様に見せようと企てる輩が現れることになるのです。
学生演劇。学生の創作活動というものは、やっているほうが一方的に楽しくて、やられるほうはただただ迷惑、ということになるのが通り相場なのですが、とりわけ学生演劇には、その傾向が強い。というのは、私自身のささやかな経験からくる大いなる偏見であります。
夏は異様に蒸し暑く、冬はしんしんと底冷えのする、おそらくはアスベストで塗り固められた小さな小屋。座り心地の悪い、椅子と呼ぶには椅子に失礼な、地面と水平に置いた長い板のことをベンチと呼ぶなら、まあそうとしか呼びようのないものに腰掛けます。隣との境目がないそういった客席である以上、劇団のスタッフに言われるままに詰めるだけ詰めて座ると、暗く、狭く、寒くあるいは熱く、あたかもアウシュビッツに向かう列車内のようです。
そうこうしているうちに、目と鼻の先の舞台に照明が灯り、独特の香りのスモークがもうもうと吹き出してきます。と、薄汚れたトレンチコートにトランク様のものを提げた、テンションばかり高い男が現れて、なにやら意味深のような、まるで無意味のような独白を始めます。すると、同様の衣装に身を包んだ男女が数人登場し、やはり元気いっぱいに、意味の不明なことをてんでにしゃべり始めます。
……90分後、トレンチコートの男女は、どこからともなく取り出した拳銃でもって、互いを撃ち合っています。あるものはワルサー、あるものはトカレフ、あるものは旧式のリボルバーで、もう無茶苦茶です。ぎゃあと叫んで最後の男が地面にくずおれた瞬間、スモークがしゅわしゅわと吹き出て舞台は暗転。「おしまい」というテロップは出ないものの、待てど暮らせど次の幕が開かないので、どうやら終わったらしいと知れるのです……。
なにか非道い書き方をしてしまいましたが、いま思い返せば、良い思い出です。
もう一度、あの小屋に行ってみたい気持ちもあります。
今度行くか? いやか。そうか。
ちなみに、東洋史専修であった私自身の卒論テーマは『タイバンコク朝における仏教と王権の関係』。一読した指導教官に、「もう少し頁数を増やせば、新書で出せるね」と言われたのを憶えていますが、褒められたのか貶されたのかわかりませんでした。
いまでもわかりません。が、卒論で新書ってことは、おそらく貶されたのでしょうね。
『王様』で。
『桜』
「さくら」
〈H〉
実は一週間まえに力作ブログを書き上げていたのだ。
桜をテーマにした、情緒溢れる紀行文だった。
さぁアップロードだぜって時に、ついF5を押してしまったのだ。
F5の凄まじい威力。全てを無に帰す、まさに涅槃の世界にいらっしゃいませこんにちわ。
それで思い出したのだが、僕は卒業論文のデータを途中で消したことがある。
頭が真っ白、という状態だが、頭の中は白いというより、ドス黒いものが広がった。
提出まであと3日であった。
気付いたら僕は拍手をしていた。スタンディングオベーションである。
家族の手前、マスターベーションでなくて本当に良かった。
人間、自分を見失う経験は、人生において何度かある。
しかしながら、再度書き始めた卒論は、実に簡潔で論旨が明確な論文となった。
つまり、文章の流れやロジックだけが頭に残り、表現自体が破棄される状態で、若干の焦りとともに文章を書いたものだから、論旨に不必要な余計な文字が削除され、実にシンプルに伝えたいことが浮き彫りになったのだ。
そこで、今回は、旅の醍醐味が凝縮された簡潔な文章でお送りします。
-----
・Hは10日前に家族を連れて京都に行った。何故って桜が満開だったから。
・タクシー運転手の小川さんに「明日の人出も凄いから嵐山に行くべきではない」と言われる。
・そこで予定だった金閣・御室・竜安寺を避けて、等持院・妙心寺・広隆寺・養源院・東福寺などを回遊。
・これが予想以上に素晴らしいお寺だった。しかしみんなあまりご存じないだろう。
・等持院は、戦時中に母が疎開していたお寺で、コケティッシュな庭が素敵。
・妙心寺では、狩野探幽の雲龍図に八方睨まれる。ここは如拙の瓢鮎図も有名だよね。
・広隆寺では、国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像に見とれる。
・養源院では、血天井のインパクトと、5センチまで接近可能の俵屋宗達に感動する。
・東福寺では、日本最古・最大の三門の壮大さに戦慄が走る。

鴨川沿いの桜。おおお満開。

妙心寺退蔵院の庭。左下の方は友達ではありません。

妙心寺への途中で通る嵐電の踏み切りにて。
ああ、素敵。京都最高。
次回は『卒論』でお願いします。
〈H〉
実は一週間まえに力作ブログを書き上げていたのだ。
桜をテーマにした、情緒溢れる紀行文だった。
さぁアップロードだぜって時に、ついF5を押してしまったのだ。
F5の凄まじい威力。全てを無に帰す、まさに涅槃の世界にいらっしゃいませこんにちわ。
それで思い出したのだが、僕は卒業論文のデータを途中で消したことがある。
頭が真っ白、という状態だが、頭の中は白いというより、ドス黒いものが広がった。
提出まであと3日であった。
気付いたら僕は拍手をしていた。スタンディングオベーションである。
家族の手前、マスターベーションでなくて本当に良かった。
人間、自分を見失う経験は、人生において何度かある。
しかしながら、再度書き始めた卒論は、実に簡潔で論旨が明確な論文となった。
つまり、文章の流れやロジックだけが頭に残り、表現自体が破棄される状態で、若干の焦りとともに文章を書いたものだから、論旨に不必要な余計な文字が削除され、実にシンプルに伝えたいことが浮き彫りになったのだ。
そこで、今回は、旅の醍醐味が凝縮された簡潔な文章でお送りします。
-----
・Hは10日前に家族を連れて京都に行った。何故って桜が満開だったから。
・タクシー運転手の小川さんに「明日の人出も凄いから嵐山に行くべきではない」と言われる。
・そこで予定だった金閣・御室・竜安寺を避けて、等持院・妙心寺・広隆寺・養源院・東福寺などを回遊。
・これが予想以上に素晴らしいお寺だった。しかしみんなあまりご存じないだろう。
・等持院は、戦時中に母が疎開していたお寺で、コケティッシュな庭が素敵。
・妙心寺では、狩野探幽の雲龍図に八方睨まれる。ここは如拙の瓢鮎図も有名だよね。
・広隆寺では、国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像に見とれる。
・養源院では、血天井のインパクトと、5センチまで接近可能の俵屋宗達に感動する。
・東福寺では、日本最古・最大の三門の壮大さに戦慄が走る。

鴨川沿いの桜。おおお満開。

妙心寺退蔵院の庭。左下の方は友達ではありません。

妙心寺への途中で通る嵐電の踏み切りにて。
ああ、素敵。京都最高。
次回は『卒論』でお願いします。
『出会いと別れ』
〈R〉
妻と喧嘩をした。また。
何度目になるのか、いちいち数えるのもやめてしまった。壁に叩きつけられたワイングラスが砕け散るくらいのことはいまさら大喧嘩とも呼べないくらいだが、それでも、怒りにかられた私がベッドルームの姿見を粉々にしたとなれば、やはり今回の喧嘩はそれなりに致命的なものにもなりうるだろう。
友人達の間では、仲の良い夫婦ということになっている。世間体を繕い、仲間たちを欺くことだけが、私たちが唯一協力し合っていることだ。
もう終わりなのだろうか。それともまだ、私たちはこんなことを繰り返しながらも二人の暮らしを続けていくのだろうか。子どもがいないのが不幸中の幸い、というありきたりな慰めが頭に浮かぶ。
こんな時、私が決まって行くのは、Mのところだ。私はタクシーに乗り、電話をかける。Mはいつも、ずいぶん待たせてから受話器をとる。
「いまから行ってもいいか?」
「かまわないわよ」
「30分で着くと思う」
「途中でペリエとレモン買ってきてくれないかしら」
時計を見ると夜の2時だった。Mに電話をするのはいつも決まって深夜だったが、Mはそのことについて文句を言ったことはない。事情はだいたいわかっているから、理由を訊いたこともない。いつだって、花曇りの土曜の夕方に電話したときのような口調で話をする。Mはいつもアンニュイで物憂げだ。
私とMがはじめて会ったのは、前の世紀末の春。私たちはふたりとも学生だった。
妻に会ったのはその二年後、もう新世紀になっていて、やはり春だった。私たちは社会人だった。
出会った状況が、その後の関係に大きな影響をおよぼすことはありうることだと思う。
私とMの関係はいつまでたっても学生時代のままで、何をするでもなく、何が起こるわけでもない。友だち、といえばまあそうなのだろうが、お互い友達らしいことはしたことがないし、何でもない時に連絡を取り合う関係でもない。会うのはいつも、こんなときだけだ。私の結婚式にも、Mは来なかった。葬式の時にも、たぶん来ないだろう。
言うまでもないことだが、私はMと寝たことはない。それどころか、手を握ったことすらない。次々と男を取り替える癖がありながら、ひとりのときが一番寛いでいるように見えるMにとって、私は常に、物わかりの良すぎる兄、あるいは可愛げのなさすぎる弟のような役どころだったと思う。
「私たちって正反対の人間だけど、ある部分だけが、すごく似てるのよ。極小の一部分が。だから、あなたと寝る気がしないのよ」。いつか、Mが言ったことだ。たぶん私たちは、悪い面が似た者同士なのだろう。
だから気が許せるのだ。だから、一緒には暮らせないのだ。
妻とは、会社の先輩と後輩というかたちで出会った。
私は彼女に仕事を教える役割であって、ある時期まで、彼女にとって私は憧れの先輩であった。
よくある話だ。
他の社員には内緒で交際を始め、2年後に結婚した。それから5年がたって、「最大の理解者」となるべきだった私は、彼女にとって「最悪の理解者」となった。いずれにせよ「理解者」ではあることが、問題を複雑にしていた。私たちは互いに知るべきことをすべて知ってしまい、そのなかには、知るべきではなかったことさえ含まれていた、ということだ。ここでもまた、私たちはある部分で似た者同士だった。私たちは、関係性を維持すること、生活を守ること――さっき使った表現でいえば、世間体を繕うことかもしれない――という点で似すぎていた。
二人きりでいるときと、誰か第三者がいるときでは、妻の態度は全く違っていた。おそらく私の態度も同じように変化していただろう。そして誰か他の人がいるときに、妻が私に見せる笑顔が、かろうじてふたりをつないでいた。もしその第三者がMだったとしたら、Mは目を伏せて、諦めたように冷たく、しかしからかうように優しく、小さな笑いを浮かべただろう。
「思ったより元気そう」
深夜営業のスーパーで買った、袋いっぱいのレモンとペリエの瓶、シャブリのボトルと枝付レーズンの袋を抱えた私に、身を乗り出すようにドアを開けながら、Mは微笑んだ。
「悪いな、こんな時間に」
「なにをいまさら」
Mは奥に入っていく。
廊下の向こうの部屋から、the Verve の「bittersweet symphony」が小さく聞こえる。彼女のライフスタイルに合っているとはあまり思えないのだが、Mはいつもこの時代のポップミュージックを好んで聴いている。私たちがほんとうに若かったころの音楽だ。
「手、どうしたの?」
キッチンでアイスペールとグラスを用意しながらMは言う。
私はキッチンカウンターに買ってきたものを置き、シャブリを冷蔵庫にしまう。言われてはじめて、右の拳に血がにじんでいるのに気付いた。
「鏡を割った」
いまのMがどんなふうに暮らしているのか、この南麻布の2DKがほんとうに彼女の名義なのか、そんなことの一切を、私は知らない。訊けば答えるだろうが、わざわざ訊ねる気持ちがない。私は居間のソファに座る。
「かわいそうね」
「見た目ほど痛いわけじゃない」
「奥さんが、よ」
氷やグラスを乗せたトレーを持って、Mが隣に座る。Mはジントニックを作り始める。
こんなふうに、ときにMは私の味方になってくれるのをやめて、女の味方になる。今夜の役どころは、出来の悪い弟のほうかもしれない。
「奥さんと、何年目だっけ」
「出会ってから7年」
「私とは」
「出会って9年」
いつのまにか、曲は「let down」に変わっている。Radiohead。暗い目をしたトム・ヨーク。出会ったころ、私はこのバンドが好きではなかった。
「私って、ダメな女になったと思う?」
「どうして?」
「いつもそう思ってるから。だから、あの頃と今と両方知ってるあなたに訊いてみたいの」
「そうだな――」
ジントニックを一口飲み、口を開いたその時、テーブルに放り出してあった私の携帯電話が鳴り始めた。ディスプレイにはクールなゴチック体で「自宅」と表示が出ている。Mにも見えているはずだ。
部屋の隅で、受話器を両手でつかみ、電話にむかってややかがみ込むように立っている妻の後ろ姿が見えるようで躊躇していると、
「出たら?」
何でもないことのように、Mがさりげなく言う。3コールと半分。絶妙のタイミングというしかない。
その声に操られるように、私は携帯電話をつかんでしまう。
「……」
「……どこにいるの?」
妻の声は、地球の果ての、名もない海に浮かぶ流氷のように、遠く、冷たく、平板だった。
let down and hanging around,
crushed like a bug in the ground.
Let down and hanging around.
妻の耳には、トム・ヨークの声が聞こえているはずだ。
(つづく)
***
…一週間、行き帰りの電車の中だけで書く。という無意味な試みを自らに課して、ここでタイムアップになりました。出会いと別れ、に入る前に力尽きた。
時節柄、『桜』もしくは『花見』で。
妻と喧嘩をした。また。
何度目になるのか、いちいち数えるのもやめてしまった。壁に叩きつけられたワイングラスが砕け散るくらいのことはいまさら大喧嘩とも呼べないくらいだが、それでも、怒りにかられた私がベッドルームの姿見を粉々にしたとなれば、やはり今回の喧嘩はそれなりに致命的なものにもなりうるだろう。
友人達の間では、仲の良い夫婦ということになっている。世間体を繕い、仲間たちを欺くことだけが、私たちが唯一協力し合っていることだ。
もう終わりなのだろうか。それともまだ、私たちはこんなことを繰り返しながらも二人の暮らしを続けていくのだろうか。子どもがいないのが不幸中の幸い、というありきたりな慰めが頭に浮かぶ。
こんな時、私が決まって行くのは、Mのところだ。私はタクシーに乗り、電話をかける。Mはいつも、ずいぶん待たせてから受話器をとる。
「いまから行ってもいいか?」
「かまわないわよ」
「30分で着くと思う」
「途中でペリエとレモン買ってきてくれないかしら」
時計を見ると夜の2時だった。Mに電話をするのはいつも決まって深夜だったが、Mはそのことについて文句を言ったことはない。事情はだいたいわかっているから、理由を訊いたこともない。いつだって、花曇りの土曜の夕方に電話したときのような口調で話をする。Mはいつもアンニュイで物憂げだ。
私とMがはじめて会ったのは、前の世紀末の春。私たちはふたりとも学生だった。
妻に会ったのはその二年後、もう新世紀になっていて、やはり春だった。私たちは社会人だった。
出会った状況が、その後の関係に大きな影響をおよぼすことはありうることだと思う。
私とMの関係はいつまでたっても学生時代のままで、何をするでもなく、何が起こるわけでもない。友だち、といえばまあそうなのだろうが、お互い友達らしいことはしたことがないし、何でもない時に連絡を取り合う関係でもない。会うのはいつも、こんなときだけだ。私の結婚式にも、Mは来なかった。葬式の時にも、たぶん来ないだろう。
言うまでもないことだが、私はMと寝たことはない。それどころか、手を握ったことすらない。次々と男を取り替える癖がありながら、ひとりのときが一番寛いでいるように見えるMにとって、私は常に、物わかりの良すぎる兄、あるいは可愛げのなさすぎる弟のような役どころだったと思う。
「私たちって正反対の人間だけど、ある部分だけが、すごく似てるのよ。極小の一部分が。だから、あなたと寝る気がしないのよ」。いつか、Mが言ったことだ。たぶん私たちは、悪い面が似た者同士なのだろう。
だから気が許せるのだ。だから、一緒には暮らせないのだ。
妻とは、会社の先輩と後輩というかたちで出会った。
私は彼女に仕事を教える役割であって、ある時期まで、彼女にとって私は憧れの先輩であった。
よくある話だ。
他の社員には内緒で交際を始め、2年後に結婚した。それから5年がたって、「最大の理解者」となるべきだった私は、彼女にとって「最悪の理解者」となった。いずれにせよ「理解者」ではあることが、問題を複雑にしていた。私たちは互いに知るべきことをすべて知ってしまい、そのなかには、知るべきではなかったことさえ含まれていた、ということだ。ここでもまた、私たちはある部分で似た者同士だった。私たちは、関係性を維持すること、生活を守ること――さっき使った表現でいえば、世間体を繕うことかもしれない――という点で似すぎていた。
二人きりでいるときと、誰か第三者がいるときでは、妻の態度は全く違っていた。おそらく私の態度も同じように変化していただろう。そして誰か他の人がいるときに、妻が私に見せる笑顔が、かろうじてふたりをつないでいた。もしその第三者がMだったとしたら、Mは目を伏せて、諦めたように冷たく、しかしからかうように優しく、小さな笑いを浮かべただろう。
「思ったより元気そう」
深夜営業のスーパーで買った、袋いっぱいのレモンとペリエの瓶、シャブリのボトルと枝付レーズンの袋を抱えた私に、身を乗り出すようにドアを開けながら、Mは微笑んだ。
「悪いな、こんな時間に」
「なにをいまさら」
Mは奥に入っていく。
廊下の向こうの部屋から、the Verve の「bittersweet symphony」が小さく聞こえる。彼女のライフスタイルに合っているとはあまり思えないのだが、Mはいつもこの時代のポップミュージックを好んで聴いている。私たちがほんとうに若かったころの音楽だ。
「手、どうしたの?」
キッチンでアイスペールとグラスを用意しながらMは言う。
私はキッチンカウンターに買ってきたものを置き、シャブリを冷蔵庫にしまう。言われてはじめて、右の拳に血がにじんでいるのに気付いた。
「鏡を割った」
いまのMがどんなふうに暮らしているのか、この南麻布の2DKがほんとうに彼女の名義なのか、そんなことの一切を、私は知らない。訊けば答えるだろうが、わざわざ訊ねる気持ちがない。私は居間のソファに座る。
「かわいそうね」
「見た目ほど痛いわけじゃない」
「奥さんが、よ」
氷やグラスを乗せたトレーを持って、Mが隣に座る。Mはジントニックを作り始める。
こんなふうに、ときにMは私の味方になってくれるのをやめて、女の味方になる。今夜の役どころは、出来の悪い弟のほうかもしれない。
「奥さんと、何年目だっけ」
「出会ってから7年」
「私とは」
「出会って9年」
いつのまにか、曲は「let down」に変わっている。Radiohead。暗い目をしたトム・ヨーク。出会ったころ、私はこのバンドが好きではなかった。
「私って、ダメな女になったと思う?」
「どうして?」
「いつもそう思ってるから。だから、あの頃と今と両方知ってるあなたに訊いてみたいの」
「そうだな――」
ジントニックを一口飲み、口を開いたその時、テーブルに放り出してあった私の携帯電話が鳴り始めた。ディスプレイにはクールなゴチック体で「自宅」と表示が出ている。Mにも見えているはずだ。
部屋の隅で、受話器を両手でつかみ、電話にむかってややかがみ込むように立っている妻の後ろ姿が見えるようで躊躇していると、
「出たら?」
何でもないことのように、Mがさりげなく言う。3コールと半分。絶妙のタイミングというしかない。
その声に操られるように、私は携帯電話をつかんでしまう。
「……」
「……どこにいるの?」
妻の声は、地球の果ての、名もない海に浮かぶ流氷のように、遠く、冷たく、平板だった。
let down and hanging around,
crushed like a bug in the ground.
Let down and hanging around.
妻の耳には、トム・ヨークの声が聞こえているはずだ。
(つづく)
***
…一週間、行き帰りの電車の中だけで書く。という無意味な試みを自らに課して、ここでタイムアップになりました。出会いと別れ、に入る前に力尽きた。
時節柄、『桜』もしくは『花見』で。
『先輩』
〈H〉
「せ・ん・ぱ・い・・・・」
といえば、レベッカの「MOON」曲中の心霊ボイスとして有名。
心霊ボイスをうまい伏線につかった小説といえば、伊坂幸太郎の「フィッシュストーリー」。
伊坂幸太郎の小説の中で何が一番好きかと問われるならば「チルドレン」。
映画化された作品としては「ゴールデンスランバー」が秀逸でした。
僕が勤めている会社の人間は個性が非常に豊かである。
業態自体が各人の個性で食っているようなものなので、どういう人材を採用するかが会社の今後を左右するといっても過言ではない。
会社の寮の入寮式で、うんこをパクっと食べて場を沸かせたF先輩、元気かなぁ。
飲み屋の鴨居にぶら下がって、天井から店を崩壊させたG先輩、最近部長に昇格したらしい。
朝の六本木で酔っ払って、ケビン・ランデルマンと喧嘩したR先輩、生きてるかなぁ。
そんな中で、ここ数年で最も鮮烈な印象を残した後輩は、Kである。
彼は3年間、僕と同じ部署にいたのだが、数年前の春先に異動になった。
その異動先というのが、社内でも指折りの飲みのキツイ部署で・・・。
異動後、彼の歓迎会があったそうで、Kは先輩に言われて出し物として
ダッチワイフとダンスしたそうです。
しかも「今日は僕のパートナーを紹介します」と言って携帯電話でダッチさんを呼び出すという徹底した演出ぶり。
Kはコレで精神を若干やられてしまったらしく、後日僕と話したときに遠くを見つめながら
いやー、彼女いい動きするんですよぉ。
と嬉しそうに言っていた。
宴会の前日、彼はダッチワイフを先輩と買いに行き、もちろんそれはしぼんだ状態だったので、先輩に「家で膨らませて、写真撮って、俺に送って」と言われたそうだ。
Kは既婚者なので、こっそりそれを家に持ち帰り、奥さんが寝たのを待って、いざそれを取り出し、リビングルームで膨らませた。
それをあらゆる角度から携帯で撮り、先輩に送付。
ついでに、ダンスの練習をしようと思い付き、ダッチの両手を持って、踊りの練習に励んだそうだ。
翌朝、Kが会社に行こうとしていると奥さんが
私の幻だと思うんだけど、
アンタ、リビングルームでダッチワイフと踊ってなかった?
説明しても理解してもらえないと瞬時に判断したKは「幻覚だろー、何言ってんの?」と言い残して、空気の抜けたダッチさんの入っているバッグを小脇に抱えて、出社したそうだ。
そんなわけで次回は『出会いと別れ』だ。時節柄、盛り上がること必至。
「せ・ん・ぱ・い・・・・」
といえば、レベッカの「MOON」曲中の心霊ボイスとして有名。
心霊ボイスをうまい伏線につかった小説といえば、伊坂幸太郎の「フィッシュストーリー」。
伊坂幸太郎の小説の中で何が一番好きかと問われるならば「チルドレン」。
映画化された作品としては「ゴールデンスランバー」が秀逸でした。
僕が勤めている会社の人間は個性が非常に豊かである。
業態自体が各人の個性で食っているようなものなので、どういう人材を採用するかが会社の今後を左右するといっても過言ではない。
会社の寮の入寮式で、うんこをパクっと食べて場を沸かせたF先輩、元気かなぁ。
飲み屋の鴨居にぶら下がって、天井から店を崩壊させたG先輩、最近部長に昇格したらしい。
朝の六本木で酔っ払って、ケビン・ランデルマンと喧嘩したR先輩、生きてるかなぁ。
そんな中で、ここ数年で最も鮮烈な印象を残した後輩は、Kである。
彼は3年間、僕と同じ部署にいたのだが、数年前の春先に異動になった。
その異動先というのが、社内でも指折りの飲みのキツイ部署で・・・。
異動後、彼の歓迎会があったそうで、Kは先輩に言われて出し物として
ダッチワイフとダンスしたそうです。
しかも「今日は僕のパートナーを紹介します」と言って携帯電話でダッチさんを呼び出すという徹底した演出ぶり。
Kはコレで精神を若干やられてしまったらしく、後日僕と話したときに遠くを見つめながら
いやー、彼女いい動きするんですよぉ。
と嬉しそうに言っていた。
宴会の前日、彼はダッチワイフを先輩と買いに行き、もちろんそれはしぼんだ状態だったので、先輩に「家で膨らませて、写真撮って、俺に送って」と言われたそうだ。
Kは既婚者なので、こっそりそれを家に持ち帰り、奥さんが寝たのを待って、いざそれを取り出し、リビングルームで膨らませた。
それをあらゆる角度から携帯で撮り、先輩に送付。
ついでに、ダンスの練習をしようと思い付き、ダッチの両手を持って、踊りの練習に励んだそうだ。
翌朝、Kが会社に行こうとしていると奥さんが
私の幻だと思うんだけど、
アンタ、リビングルームでダッチワイフと踊ってなかった?
説明しても理解してもらえないと瞬時に判断したKは「幻覚だろー、何言ってんの?」と言い残して、空気の抜けたダッチさんの入っているバッグを小脇に抱えて、出社したそうだ。
そんなわけで次回は『出会いと別れ』だ。時節柄、盛り上がること必至。



